2014 . 3 . 30

美容医療の’真髄’Ⅰ 眼瞼下垂構造だと、アスリートの成績に影響します?

日本人や東アジア人全般には、眼瞼下垂状態の構造の遺伝子が蔓延しているという事は、人類学の常識なのですが、その結果特性として文化文明のレベルや(高さではない。)質的差異に反映されている生理的機能性が、その社会の構成員の中の世界的代表者である人物の像にも反映されている事になっているのは、残念ながら必至の結果なのでしょう。

日本国の国力の現状がどのようなものかは、誰もが憂慮していますよね。その中身は、世界的なトレンドの中で先進国の経済的成長性が停滞しながら、後進国に経済力を依存する事になる流れが止められないからです。この結果、先進国では人生において幸福を経済的富裕性以外のものに求める事になります。

芸術や、スポーツ、学術もです。科学技術は実用に限らず理論や哲学的な理念の追求をも文化の醸成に寄与し得ます。エコノミックアニマルとかバブリーとか言われた日本国民に不足していた観念です。その中でスポーツは従来から、賞揚されてきた訳で、近代オリンピックは歴史的に国家発揚に利用されてきたのですよね。今回好むと好まざるに限らずに、国民の多くがオリンピックに集中して国威発揚を求めていました。忙しく働く日本人は夜中に見続けた人ばかりではありませんが、誰もが心の中で、自分の所属する日本の代表者としての選手に”メダル”=国威を求めていたのではないでしょうか?。途中でチャチャを入れた元首相は、その典型です。

話は飛びますが、哲学的理念というのは、一般に堅苦しくそれでいて実用性の無い、観念の世界と捉えられている学問だと思われがちですが、それだけではないのです。人々が心の中に持つ正しさを総体したものが権威なのです。人が営む限り、正しい方法論で行動しなければならないという理性は、科学にも通用します。今話題の科学のトピックス(stap)もその点での問題を包含しています。決して、彼女を非難しているのではありません。間違いではないと思いたいです。全ての科学に於いては正しい方法論がなければ、報告された書籍が意味がなくなります。原則として、有用な科学的報告は国民の為の経済性と幸福をもたらしますが、人類で共有するべき知性なので、検証され、追試され、再現されて初めて利用されるものですから、その結果やっと哲学的に認容されます。

ちなみに私は医学博士ですが、洋語ではPh.D=Philosophy Doctorです。哲学博士と訳せばいいのでしょう。世界的にも、博士はPh. Dです。哲学博士で、決して医学博士とか、経済学博士ではありません。分野が付くだけです。何故かは解りますよね。科学に於ける学術的権威は、正しさが担保しますから、哲学なのです。正しい科学は哲学的に担保されているからです。

スポーツに於いても、哲学が優先します。ドーピング問題は典型的です。同時に、アスリートは、肉体を磨く事が求められる訳で、疾病を伴っているアスリートはパラリンピックに出場する余地があります。これも人類愛という哲学です。もし眼瞼下垂という先天的疾患を持つなら、検討するべきでしょう。その結果、国家の威信を損ねる可能性があるならそうすべきか、疾患を治療してから出場するべきでしょう。国家の為に。

アスリートはその意味で、国民や民族を代表する行動者なのですが、その人物がその民族の能力の総和としての国家力を代表していると願うのは、個々の国民が避けられない感情ですよね。ところが、その人物が国民国家を代表するかと言えば、その能力が必ずしも代表していなくてもいいし、平均である必定性も無いし、最低レベルつまり閾値を示す必要もないのですよね。だから、代表選手が国民を代表している訳ではない事を国民は認識している方がいいでしょう。

残念ながら敗北したフィギュアースケーターはその意味での象徴です。象徴というならば、天皇陛下と同列になってしまい政治的に問題が生じるので、国民の夢と言っておきます。でも夢を果たせませんでした。

そして残念な結果でした。その原因が解剖学的構造、つまり形態、そして機能にある。訓練しても越えられない遺伝的欠陥が大きく影響しているのに、改造しようとしない。そんな日本人の代表が典型的に認識する不条理な観念=儒教的意識まで感じて…、やはり東アジアの民族の裂位性を感じたのです。その点では、お隣の半島の選手も同様でした。そうです首長が勘違いしているのと逆に、日本人は劣等民族なのです。眼瞼下垂患者を放置する様な低劣な民族なのです。その結果は残念でした。ちなみに首長は典型的な先天的眼瞼下垂患者ですよね。

ヤバい事ばかり述べましたが、我々東アジア人が持つ先天的眼瞼下垂の遺伝子が、国民性にどれだけ関与しているかを考察する機会となったので、科学的に検討して頂く機会にしていただく材料として提示したまでで、個人を中小していませんので考え違えないで下さい。

アスリートに限らず眼瞼下垂症が日常生活に於いて大きな損害を与えているのです。私は専門家ですからもちろん、日常どの場面でも「アッこの人はこの機能だから、こういう行動するのか。」「眼瞼下垂なのになんで治さないのだろう?、不便だろうなあ~。顕在する症状はそこからでしょ?。」などと心の中で自然に診断しています。何度も言いますが、眼瞼下垂は病気です。先天性と加齢性がありますが、症状を呈しますから、治すべきです。ところが、日本人の中でも知性の高くない多くの人は、美容整形、美容外科と混同しているのです。日々その誤った認識を投げかけられています。これも日本人の知力低劣性を示してしまっています。そのため残念ながら、眼瞼下垂手術をも美容整形の一種だと思う人が居て、忌避感を持つ残念な国民が多く居ます。間違いを認めない日本人は、だから、失われた20年を克服できないのでしょう。20年は財務省官僚の悪意でしたが、美容整形と疾病治療を行う形成外科の混同を放置したのは、厚生省の悪意だったと捉えて間違いは無いと思います。

もう一つ、失われた20年の結果、日本国の医療は混乱しました。高度成長期の昭和36年に国民皆保険のなったのですが、その結果に甘えた国民は、保険診療だけが正当な医療だと認識し、どんどん進歩する医療に付いていけない保険医療を信じ、自費診療を医療と認めない愚意を念じてしまったのです。その結果、保険収載されない医療は不正だとの誤認さえ持つ説さえが存在する事になってしまいました。昔日の美容整形は確かに非科学的な一面を持っていまいたが、私達は形成外科を基礎とした正当な美容医療を目指してきたのです。

眼瞼下垂に対する医療は、日本人では誰もが認識しておくべきです。そして、これは医療です。医療ですから、一般的に理解されなければなりません。そこで、アスリートが目に入ったので説明の材料にしました。残念でしたよね!。その前に、治療すれば良かったのに、そうすればアスリートとしての能力が向上したのは、科学的には間違いないでしょう

余りにもタイムリーではっきり書けなかったのですが、お解りいただけましたでしょうか?。解るに決まっているといわれるとヤバいかも知れません?。でも、この話題は日本人の約50%の人に取っての問題なのです。知らない振りをしないで下さい。

ちょっと前に、サッカー選手の症例を説明しました。彼は世界最高レベルのチームに入って頑張っています。まだ溶け込めないで、遊泳していますが、必ずやフィットするでしょう。遅くても、6月のブラジルまではハイレベルに達していることを期待しています。

この話題は、現在進行中のアスリートの方々を誹謗中傷するものでは、決してありません。国家の国民が認識されていない文明文化について、一人の医師、専門家としての形成外科医してアドバイスしているに過ぎません。残念なのは、国民国家で、個人ではありません。官僚様達によって失われた20年の結果の経済的困窮から、現代社会に於いては、知性理性は食い物にならないので、不要と考える国民が増えています。しかし、違った方向性から国家を助ける方法論を述べてみました。

もう一度強調しておきます。日本人に於いて、目が小さい人は半分以上居て、その機能は残念ながら人類の中では異常者なのです。国家的事業として、彼らに改良を施すべきなのですが、思慮の足りない為政者は、同様の民族である中韓を凌ごうとするポーズを政治的に売り物にして、いっさい気付いていない振りをしています。もちろん彼等も眼瞼下垂患者です。先天的眼瞼下垂を持つ韓国人や中国人が、眼瞼下垂症を積極的に治療しているのに、我が日本人は何て後進的なのでしょう。残念です。アアー、これも彼の顔を見ればナットクか?。

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